みなさんは、「スパイ防止法」が必要という議論が活発になっていることをご存知ですか?
日本でのスパイ防止のための取り組みは、まったく進められてこなかったわけではありません。しかし、長らく「スパイ天国」と揶揄される状況が続き、近年では軍事的な安全保障だけなく、経済分野の安全保障の重要性が高まる中で、「スパイ防止法」の必要性を訴える声が広がってきています。
さて、スパイというと、映画『007』のジェームズ・ボンド、『ミッション・インポッシブル』のイーサン・ハント(トム・クルーズ)などを思い浮かべる人が多いでしょう。また、『シャーロック・ホームズ』や『チャーリーズ・エンジェル』、日本のアニメ『名探偵コナン』などは、主人公は「探偵」という肩書きですが、劇中ではスパイ的な行動が多く見られます。
これら著名な作品で描かれる「スパイ像」は置いておいて、私たちの日常生活にも「スパイ」が潜んでいるかもしれません。たとえば、国家の機密情報を狙うスパイだけでなく、産業スパイとして普通の企業の中にいる可能性もあるのです。
一説によると、日本には10万人以上のスパイがおり、しかも厳しい取り締まりがないので、スパイ同士の情報交換の拠点となっているとさえいわれています。
以下、日本におけるこれまでの取り組み、特定秘密保護法とセキュリティ・クリアランス法の概要、スパイ防止法の必要性と課題について見ていきましょう。
日本におけるこれまでの取り組み
日本には、他国のようにスパイ行為そのものを包括的に取り締まる「スパイ防止法」は、過去に法案が提出されたものの成立には至っておらず、代わりに既存の法律で対応してきた経緯があります。
スパイ防止に関連する代表的な法律を年代順にまとめると、次のとおりです。
| 法律・制度 | 制定年 | 目的・概要 | 関連性 |
|---|---|---|---|
| 外国為替及び外国貿易法(外為法) | 1949年 | 輸出規制(特に軍事転用可能な技術)などにより、技術の流出を防止。 |
経済安全保障の観点からの技術保全
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| 自衛隊法 | 1954年 | 自衛隊の秘密を漏洩した者への罰則 |
防衛分野の秘密保全
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| 日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法 | 1954年 | 米国から提供された防衛上の秘密情報の漏洩防止 |
外国との情報共有に必要な基盤
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| 特定秘密保護法(特定秘密の保護に関する法律) | 2013年 | 防衛、外交、特定有害活動(スパイ活動など)、テロ活動に関する特に機密性の高い情報を「特定秘密」に指定し、漏洩に厳罰を科す |
日本版セキュリティ・クリアランスの基礎として、特定秘密へのアクセス資格者を認定する制度を確立
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| セキュリティ・クリアランス法(重要経済安保情報の保護及び活用に関する法律) | 2024年 | 経済活動に関わる重要経済基盤(サイバー、AI、宇宙など)に関する情報のうち、安全保障上特に秘匿が必要な情報を「重要経済安保情報」と指定し、その漏洩を防ぐ体制を確立する |
特定秘密保護法では対象外だった重要資源のサプライチェーンや量子技術といった経済安保分野の機密情報も保護対象に拡大
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特定秘密保護法とセキュリティ・クリアランス法の関係
2013年12月の「特定秘密保護法」の制定は、日本の情報保全体制を大きく前進させました。しかし、これは「特定秘密」として指定された情報の漏洩に限定されており、指定前の情報収集活動(いわゆるスパイ活動)そのものを取り締まるには限界がありました。
2024年5月に制定された「セキュリティ・クリアランス法」(以下、SC法)では、特定秘密保護法では対象外だった重要資源のサプライチェーンや量子技術といった経済安全保障に関する機密情報も保護対象に拡大されました。
また、特定秘密保護法で導入されたセキュリティ・クリアランス制度を、民間企業にも拡大しています。つまり、「重要経済安保情報」を取り扱う民間企業の従業者も対象となる点が、特定秘密保護法と異なります。
個人の信頼性を確認するための調査(身元、犯罪歴、信用情報、外国との接触、家族の背景など )が行われ、本人の同意を前提に、情報へのアクセス資格(セキュリティ・クリアランス)が付与されます。これにより、セキュリティ・クリアランスを取得した事業者やその従業員は、国際共同開発や入札など、機密情報の共有が前提となるビジネス機会を得やすくなる、というインセンティブがあります。
なお、特定秘密保護法では、特定秘密(機微度が高い情報)の漏洩(未遂、過失なども含む)については、10年以下の拘禁刑となっています。一方、SC法 では、重要経済安保情報(特定秘密より相対的に秘密性が低い)の漏洩(未遂、過失なども含む)については、5年以下の拘禁刑 たは500万円以下の罰金となっています。
セキュリティ・クリアランス法の問題点
SC法には、プライバシー侵害の懸念、コスト負担の増加、制度運用のあいまいさといった問題点が指摘されています。具体的には、身辺調査の範囲が個人のプライバシーに踏み込みすぎる可能性、制度維持のためのコストや対応遅れのリスク、機密指定の範囲や手続きの不明確さなどです。
さらに、国会議員が対象外であることも大きな問題です。SC法は、国家機密情報(重要経済安保情報など)へのアクセスを許可する前に個人の信頼性を評価する制度であり、対象となるのは主に民間企業に所属する者(適合事業者とその従業員)や、政府機関や防衛関連の職務に就く者などとされ、国家機密情報そのものを取り扱う可能性がある国会議員(および政務三役)は対象外とされています。
主な理由は、政府側から「内閣総理大臣が任命する段階で必要な考慮がなされている」ということですが、実際に問題のある人物が任命される可能性を排除できないため、国会の審議などで「あまりにもあいまいな理由だ」と批判されたこともあります。実際に、これまで大臣、副大臣、政務官(政務三役)に任命された人物の中で、国益に沿わない行動をする者、特定国と明らかに親密な関係を築いていると疑われる者もいました。
SC法の主要な法案提出者のひとりである高市早苗経済安全保障担当大臣(当時、現総理大臣)は、法案成立前の記者会見で、「政務三役が重要経済安保情報を漏らした場合でも『最大5年以下の拘禁刑という罰則が及ぶということには変わりはない』と強調し、身辺調査の項目の中に「ハニートラップの有無」が入っていないことについては、「犯罪歴や懲戒歴の調査項目でカバーできる」と説明しました。
SC法は経済分野の安全保障を大きく進展させた一方、上記のような懸念もあることから、今後ますます実効性を高めるための法改正が期待されています。
スパイ防止法の必要性と課題
上記のような経緯がありながら、現行法だけでは機密情報に指定されていない情報の窃取や、情報収集・工作活動そのものを取り締まることが難しいため、スパイ行為を包括的に処罰する法律「スパイ防止法」の制定を求める声が根強くあります。
他のG7諸国と比較して、日本の法制度はスパイ対策として刑罰が軽く、適用範囲も限定的であるため、国家の安全保障を守り、国際的な信頼を得る上で支障があるとされます。つまり、国際的な軍事情報や安全保障に関する情報などの共有において、日本は信頼性が低いということです。実際に、先進国の安全保障枠組みのひとつであるAUKUS(米英豪安全保障協力)に日本が入れないのは、スパイ防止法がないからだといわれています。
もちろん、スパイ防止法に対しては国民の知る権利や表現の自由を侵害するおそれがあるという指摘もあり、過去の「治安維持法」などによる人権弾圧への反省から、慎重論も根強く、議論が続いています。
したがって、
- プライバシーとの両立
適性評価における個人情報の保護や、評価対象者の不利益な取扱い(雇用の不利益など)を防止する仕組みの確保 - 官民の体制整備
セキュリティ・クリアランスの対象となる企業や個人が、制度に適切に対応できるよう、情報管理体制の整備や教育への支援、そして評価を担う行政側の専門体制の強化 - 国会議員などの要件の見直しや帰化歴などの公開義務の検討
立候補届け出段階でのセキュリティ・クリアランス、帰化歴などの公開を義務化する必要性を検討
といった対策が、制定過程や制定後の運用上、不可欠となるでしょう。
まとめ
日本の安全保障環境が厳しさを増す中で、スパイ防止と情報保全のための法制度を国際水準に引き上げることが、喫緊の課題となっています。
現在、臨時国会の会期中ですが、来年(2026年)の1月下旬または2月上旬から開催される通常国会では、スパイ防止法の法案提出に向けた動きが出るかもしれません。
これからも注目していきましょう。

