Appleが2024年5月7日に公開した新型iPad Proの動画広告「Crush!」が炎上騒ぎになったことをご存知ですか?
ピアノやトランペット、ギター、DJのターンテーブルなどの楽器、ペンキやインクなどの画材、アーケードゲーム機、カメラ、テレビ、そのほかさまざまな思い出の品々を、工業用プレス機で押しつぶす表現が不適切であるとして、さまざまなユーザーから強い批判を受け、炎上する事態となりました。
今日現在、YouTubeからこの動画は削除されておらず、いまでも見られます。
動画広告「Crush!」の何が問題だったのか?
動画広告「Crush!」では、薄さ5.1mmの新型iPad Proが、押しつぶされた数々の「モノ」を代替できることを表現したかったのでしょう。しかし、それらの「モノ」を作った人たちへの敬意や、それらを所有している人たちの思い出や思い入れへの配慮が感じられません。
たしかに、世の中のいろんなものがデジタルに置き換わっていることは間違いありません。
それでもなお、私たちは生身の人間として呼吸をし、食事を摂り、仕事をし、ときにレジャーを楽しむなど、アナログとデジタルの両方の世界にいます。また、アートやクリエイティブな表現も、デジタルの世界だけに限定されるわけでは決してありません。
このような観点から考えると、動画広告「Crush!」はコーポレートコミュニケーションの失敗といえるのではないでしょうか。
実際に、Ad Ageの5月9日付けの記事で、Appleのマーケティングコミュニケーション担当副社長のトール・ミューレン氏が「創造性はAppleのDNAに組み込まれており、われわれにとって、世界中のクリエイターに力を与える製品を設計することは非常に重要です。Appleの目標は、ユーザーがiPadを介してアイデアを実現する無数の方法で自己表現するのを称賛することです。だが、この動画は的を外していました。申し訳ありません」と謝罪しています。
参考:Ad Age “Apple apologizes for iPad Pro ad that ‘missed the mark'”
誰かが不快に感じるかも、という想像力の大切さ
筆者は、炎上騒ぎになる前に、Appleの「Crush!」を見ていました。
そのときの率直な感想は、「伝えたい意図は理解できるが、少なくない人が自分の思い出を否定されたと、不快に思うのではないか」というものでした。世界的な炎上騒ぎになるとまでは予想できませんでしたが、必ず何らかのケチがつくと思ったのです。
日本の広告の中にも、消費者からクレームが多数寄せられ、結果として放映中止になったテレビCMや動画広告があります。多くの場合は「誰かを不快にさせたこと」が理由です。たとえば、ある飲料メーカーの広告で、トランペットを口元に当てている人に、別の人が軽くぶつかるシーンが「危険行為だ」と指摘され、放映中止となりました。また、あるファーストフードチェーンの、子ども向けのおまけつきセットの広告では、数人の子どもたちが狂乱するようなシーンがあり、あまりにも過剰な(ある種の病的な)喜び方が不快だということで、やはり放映中止となりました。
このようなケースを見るたびに思うのが、「誰かがそれに気づけなかったのか」ということです。
広告制作には、多数の人びとが関わっているはずです。とすれば、「誰も気づかなかった」のではなく「声をあげられなかった」、つまり、関係者内に強い同調圧力があったケースのほうが多いのではないでしょうか。
Appleの「Crush!」でいえば、アナログを否定し、デジタルを礼賛するという、非常に一方的で配慮に欠けた表現について、関係者は誰も「ノー」の声をあげられなかったのではないかと想像するのです。
ダイバーシティ(多様性)という言葉を持ち出すまでもなく、「誰かが不快に感じるかも」「誰かを傷つけてしまうかも」と想像することは、どのようなアウトプットを生み出すときでも意識したいことです。まして、広報や広告などのコーポレートコミュニケーションでは、このような意識をいっそう強く持たなければならないはずです。
そのためには、同調圧力によってそのような率直な疑問をなきものとしないこと、誰のどのような意見でも歓迎するという風通しのよさを、組織として、また関係者内で保つことが大切だと考えます。
まとめ
以上、Appleの新型iPad Proの動画広告「Crush!」の炎上騒ぎを通して、コーポレートコミュニケーションのあり方を考えてみました。
個人的に、YouTubeなどで見る動画広告の中には、不快なものがたくさんあります。大きな音量で目がチカチカするような表現の広告があったり、公益性の高い法人の広告であっても過大な表現や紛らわしい表現が見受けられたりと、関係者がきちんとチェックをしているのかどうか疑わしい広告が少なくありません。そのような広告は、たとえ審査基準に抵触しておらず、無事配信されたとしても、コーポレートコミュニケーションの観点からはマイナスイメージにつながってしまうのではないでしょうか。
この記事での指摘が、広告を配信している方々に一考をうながす機会になれば幸いです。